境内のご案内

この毘沙門山は、今より約千二百余年前、僧・行基の開山、その後、慈覚大師の中興で一山十二坊、七堂大伽藍があり大いに栄えたと伝えられている。

当山には桓武天皇の命により征夷大将軍坂上田村麻呂が延暦二十一年(八〇二年)東北の蝦夷平定に際し、日本の北辺の守護神としてこの地に毘沙門天を奉り、慈覚大師によって開眼されたと伝えられている兜跋毘沙門天立像がある。

この仏像は、毘沙門天一木造日本一の巨像である。

また、この地の守護神であったとも伝えられる欅一木造で木目の美しい伝吉祥天立像がある。
さらに、承徳二年(一〇九八年)に寄進したと記されていた阿弥陀如来立像や、室町時代の作と思われる不動明王立像等がある。

一方建造物は、室町時代後期のおおらかな様式を持つと伝われる仏堂毘沙門堂や延暦年中に坂上田村麻呂将軍が建立したと伝えられている三熊野神社本殿等がある。

加えて、昭和四十七年には、裏山の沼坊より境内まで続く水道管が発見され、国内でも最も古いものだと注目されている。
また、毘沙門山の経塚からは藤原時代のものと思われる鏡や壺等が出土し、当時の毘沙門山の優れた文化の面影が偲ばれる。

社務所・総合案内

御祈祷の受付や境内のご案内をしています。

各種お守りなども、こちらで頒布しております。

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祓所はらえど

祭儀に先だち一斎の罪ケガレを払い、正常な心で祭儀を行います。

又、自動車のお祓い等、災いを祓い除きます。

神事では重要で神聖な場所となっております。

  • 車のお祓い
  • 忌明のお祓い
  • 祭典執行祓

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手水舎てみずしゃ

参拝の前には、手水舎の水で両手を清め口をすすぎます。

これには、両手を清め口をすすぐことにより、心(魂)も洗い清めるという意味があります。

水口の龍は、龍が雨や雲など水を司る神様として崇められています。

すべての動植物は水がないと生きていけず、水は命をつなぐ神聖なものとされていることから、龍神様の口から流れる水で心身清めることで邪気を払うことができると考えられています。

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三熊野神社社殿みくまのじんじゃしゃでん
県指定重要文化財

三熊野神社の本殿は、向拝流棟(こうはいながれむね)造りで、御祭神は熊野の三神で伊弉冉之命(いざなみのみこと)、事解男之命(ことさかおのみこと)、速玉男之命(はやたまおのみこと)を祀っています。

言い伝えによると、延暦年中(782年~806年)征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征伐の時、この地で紀伊の熊野三山に戦勝祈願をしたところ難なく平定することができ、熊野三山の神威を尊び熊野の三神を勧請し、三熊野神社を建立したと伝えられています。

康平5年(1062年)に源頼家が安部貞任を追撃しここに立ち寄った時、熊野神社に鏑矢を収めて戦勝祈願をしたところ安倍氏を破り奥羽を平定することができたと伝えられています。

中世には、和賀領主より社領70石を寄進され、元和4年(1618年)に南部利直公より社領23石をいただいています。

県内では数少ない古代建築様式をもつ建造物であることから昭和54年(1979年)に県の有形文化財に指定されています。

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泣き相撲土俵斎場なきずもうどひょうさいじょう

ここで行われる泣き相撲は、古くから三熊野神社の特殊神事で、正式には9月の例祭に行う十二番角力の式のことを言います。

近年は、地域、性別に関わりなく参加できる「毘沙門祭り 全国泣き相撲大会」が開催されています。

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御味噌奉納堂おみそほうのうどう

かつてひそかな民衆信仰として、毘沙門天立像の脛(すね)に味噌を塗り思い思いの祈願をしたと言われています。

この情景を見た宮沢賢治は

「…毘沙門像に味噌たてまつる…」

とよんだ。

この祠に納めてある脛は、実物と同型で言わば分身です。

あなたも毘沙門天の脛に味噌を塗って、家内安全、無病息災、商売繁盛、交通安全を祈願いたしましょう。

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宝物殿ほうもつでん

以前、毘沙門堂に収蔵されていた兜跋毘沙門天立像などの重要文化財が安置されています。

宝物殿はコンクリート造で、毘沙門天立像の他に、二鬼像(国指定重要文化財)、伝・吉祥天立像(国指定重要文化財)、阿弥陀如来立像(県指定重要文化財)が収められています。

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毘沙門堂びしゃもんどう
国指定重要文化財

建物は寄棟(よせむね)造り、鉄板葺のやや大型の三間堂で廻り縁と向拝がついています。

堂内にあった毘沙門天は、保護のため現在は上の収蔵庫に安置され、建物だけが存在しています。

毘沙門堂は中世以降、真言宗の成嶋寺(じょうとうじ)が管理していて、延宝元年(1673年)に修理をしていますが、各部の仕上げや建築手法などから室町時代後期に建立されたものと言われています。

言い伝えによると、毘沙門堂は坂上田村麻呂の建立あるいは慈覚大師草創と伝えられています。

近代まで堂内には、平安時代に造られた兜跋毘沙門天が祀られていたことから、古くからこの地域が重要な信仰の場所であったことがうかがわれます。

県内に残る数少ない中世建造物であることから、平成2年に国の重要文化財に指定されています。

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兜跋館とばつかん

参拝のあとは、兜跋館へお立ち寄りください。

ゆっくりとお茶でもいかがですか?

眼下に広がる猿ヶ石川と成島の眺望を楽しみながら、のんびりとしたひと時をお楽しみください。

ここだけのお土産もご用意しています。

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